もうすぐで三十路のぼっちブログ

生きている感想を書いています。明るくなりたい。

12月29日 a


昼まで布団にいた。
室内は日が差し込まないので暗い。動物のおしっこのにおいがする。すっぱい。
ダウンジャケットを羽織って部屋を出ると、外はあたたかい。
あきらかに服装を間違えた。と、気づいたときには家から200mは歩いていたので戻るのが面倒でそのまま出掛けることにした。
いまからカフェで昼ご飯を食べに行くのだが、服を変えるのは帰ってきてからでも問題ない。

外は陽差しがまぶしくて心地よかった。目からひかりが入ってくると、日光に反応する特定の脳汁がじわじわ出てくるのを感じる。
これが出ると気分がよくなるのだ。日光を浴びるとセロトニンが出ると読んだことがある。しかし、セロトニンが出るから気分がよくなるのかどうか個人的には知らない。なぜかというとセロトニンの分泌を増やす食品があるらしいのだが、そういうものを食べて、たとえそれで気分がよくなったとしても、ご飯がおいしかったから気分がよくなったのか、それともそれがセロトニンのせいによるものなのかは判別不可能だ。日光を浴びて気分がよくなったのが、そのとき風に吹かれた葉っぱに反射する光がきれいだったからとか、歩いて身体を動かすことが気持ちよかったのかとか、個々の要素はばらばらにすることはできない。脳内伝達物質のセロトニンが分泌されることは自覚できないし、単に日光を浴びると気分がよくなるという事実だけわかっていれば十分だった。生活の場では、自分にとっての感覚的な事実さえがはっきりしていればよい。その原因はかならずしも理解する必要はない。感覚がうまれるために理解はいらない。

12月28日

家について横になるなり嘔吐し、さっきたべた鶏肉を床にぶちまけた。洗面器半分くらいはあった。すっぱいにおいが立ち上った。
2回はいた。畳マットが汚れた。どうしようもないのでこれは後で捨てた。

ひるすぎまで寝て空腹を感じて、起き上がる。近所のらーめんが食べたい。
実は昨日はここでつけ麺を食べた。今日もまた食べたくなったのだ。

らーめん大盛りにしたが途中で食べれなくなる。なんとかがんばって完食する。
大盛りをたべたい気がしたのだが、身体がついてこなかった。少しうっとなるときがあって、まさか、ここで戻してはいけない、と焦りを感じる。
隣の席では、子連れの夫婦が食べている。女の子が「おいしいねーっ!」という。元気で素直でとてもよい。

客によって店の去り方が違う。
カウンターのいすを引いたままにして出て行く人、いすをちゃんと戻して出て行く人、「ごちそうさま」をいう人。
ちなみに自分はいすを必ず戻す。そうしないと自分が店を出た後、店員さんが文句をいうような気がする。気が小さいのだ。

12月25日

服屋に行った。店員が女だった。そこそこかわいい。私は少し緊張しつつ、大丈夫だと自分に言い聞かせながら、探している服の種類を彼女に伝えた。

差し出された服に腕を通し、羽織ってみる。鏡を見る。自分の顔が見えた。緊張している。服屋は苦手だ。

クロのダウンジャケットだ。(イタリア製なんです。都会的なデザインじゃないですか?スーツの上に羽織る人もいます。今年、すごい人気なんです)続けてもう一着試す。ネイビー3万5千円。(ネイビーは何にでも合います)

別の所に違うのがあった。(こちらはキルティングで、ダウンジャケットとはまた別の種類です。オレンジ色、きれいですよね。)

鏡越しに自分の後ろの人と目が合った。彼の顔はさらさらして見えた。自分のかおはべったりしていて赤茶けている。

女性店員はイタリア製を勧めている。ところが8万するという。(少ししますけど、一生ものですから)自分の常識がそれはダメだと言った。ふらりと入った店ではじめに試着したものに10万円−2万円を払うのはダメだと。しかし、なぜ3万5千円はOKで8万円はダメなのか?単に、自分が過去に買い物した中で3万5千円はありふれていて、慣れた数字だから問題ないと判断しているだけなのでは。彼女に話しかけられながら、そんなことを考え、応答に間が空いた。

3万5千円を選んでレジに行く。店員と会話する。(今日はお休みですか?ーはい、会社が休みなんです。いいなぁ、私も休みたい。ードイツ人が社長でクリスマスが会社の休日になってるんです。それっていいですね!休みはしっかり休んで、って感じですか?残業がなさそう。ーいや、残業ありますよ。ああ、そうなんですね。今日はどうやって過ごすんですか?ーや、何もないですね!私は昨日コンビニでケーキを買って食べましたよ〜。お客さんもケーキ食べてくださいねっ)これはキャバクラに似ているかもしれないと思い、それは二つとも女との会話が商売になっているからだ。でも服の方が、高い。それに飲み屋は、女の子がもっとセクシーだとか言う考えが浮かぶ。しかし、そういった違いはどうでもよいのだった。そうではなくて、自分は店員と話しながらキャバクラを思い出して、なんとなく居心地の悪さを感じたのだ。それが問題だ。

お似合いですよ、なんてお世辞を言われてもうれしくないのだ。どうせお仕事でしょ…?プロのウソだらけの会話はイヤだ。こころのこもった言葉が聞きたいんだよ。プロはよくない。素人がいい。だから、素人の女の子と仲良くなりたい!しかし、その前に、おれはこの店員からも好かれてはいないんじゃないのか。プロと満足に会話を交わせないのに、素人となんて仲良くなれるのか?なんてこった!と思考はどんどんあらぬ方向に飛躍していった。

無能感を育む人

職場にいる勤務歴の長い女性はたくさんの新参を退職に追い込んだ。そして、いまもう一人。それはこのおれだ。

まだ辞めてないけど。
お腹の調子が悪いのは彼女のせいだ。(メンタルが胃腸に来るのだ)そうに決まってるあいつが悪い。

他人の粗ばかり詰めたがる人は怖い。なんなんだろう。出来るのがあまりまえベースで、出来ないことは出来なきゃおかしいってどういう論理なんだ。彼は私にできないことがてきる。それで会社に貢献している。彼女は彼にできないことをやる。それで互いに補う。そういうのじゃダメなのか。

相手の揺るぎない自信の根拠がはかりかねる。アタマがグラグラしてくる。しかし、彼女は職場で目上の存在だから困る。詰められると私は無能感を味わう。ああ嫌な気持ちだ。

ため込むと身体に毒だ。外にだそう。
紙に頭の中身を書き出そう。少しすっきりするから。

会社をクビになりそうだ

三連休は主に自宅で仕事をしてました。
あたまが仕事だらけです。
自分の仕事関係について書きます。

実は会社から辞めてくれと言われていまして。
いまの会社は給料はよいのですが(あくまでも自分基準で)、出張が大量にあり、体力が必要です。
仕事内容も自分に合っていないと思います。
このまま続けていても自分のためになるかどうか(それと、会社のためになるかどうか)正直わかりません。
ちなみに仕事というのはプロジェクトマネージャーです。
仕事のスケジュールを組んで、人や物や情報を動かしたりします。
社内ひきこもりには勤まらなかったようです。

私はこのまま今の会社を辞めて転職すべきでしょうか。
するとしたらどんな職種がよいのでしょうか。
それとも、転職するのではなく、一旦別のことをしてみるのはどうでしょうか。大学院に行くとか、専門学校に行くとか、国内海外を問わずぶらぶらするとか、です。
ちょっとだけ考えてみました。

一番魅力的なのはぶらぶらでしょうか。物価の安い所に行って、あんなことこんなことを飽きるまでして暮らしていけたらいいなと思います。
ただ、残念なのですが、これはできないんです。なぜか。お金がないから。妄想するだけにしておきましょう。

現実的になります。大学院・専門学校に行くのはどうですか。
大学院に行くのだったら統計学とかやりたいですね。なんかかっこいいし。
しかし、大学に4年間いて気づいたのですが、自分には学問の対象を自主的に探して研究しようという意欲がうすいのではないかということです。そういう人間が大学院なんか行ってなにをするのか。金と時間を費やしてまでして。行ってみたらすてきな何かがあるなんて淡い期待はよした方がいいのではないかと思います。やはり目的を持って出掛けないと。

専門学校っていうのは翻訳の学校をイメージしています。
成績優秀者は学校と提携している翻訳会社に登録されるようです。
自分は翻訳に興味があります。
翻訳だったら、もしかしたら、できるかもしれない。
でも、フリーランサーになることはできるのか。
自己管理ができない人がフリーに。
やってみればできるようになるかもしれない・・・。

結局、興味のある業界でとりあえず働いてみるのが一番いいのかなと思います。
仕事があるのはしあわせだねっ。

仕事のえらびかたについて考えたこと3つ

こうすれば気持ちよく働けるのではと思うことを3つあげてみる。

1.気の合う人とはたらく
人が一番大きい気がしてきた。一緒にきもちよく働ける人となら多少しんどいことがあってもつづけていける。逆はムリだ。だが、会社の場合、入ってみないとどんな人たちがいるのかわからないことが多い。気の合う人がいたらその人のところに移ることができたらいいのかなあ。

2.やっていても苦痛ではないことを仕事にする。
これはムリ。人がよくてもムリだ。

3.その仕事をすることで身につく技能が自分のしあわせにむすびつく職を選ぶ。
仕事をつづけていれば多かれ少なかれその分野の能力が身につくと思う。そうなることで自分がうれしく思えるような職がいいな。「こんな能力興味ないわ」っていうのじゃしんどい。

仕事

効率的なコミュニケーションにはある決まった型があって、それに一番かちっとはまる組み立て方があるのではないか。仕事ができるようになるとラクだから、それを目指す。やって上達すればそれなりに楽しい。けど、それはあくまでも生き延びるためにやっているだけだ。やりたいからやっているのではなく、やらないと死んでしまうから仕方がなしにやるのだ。社会的に死ぬのは怖い。

社会的に死ぬと落ち込むだろう。たとえば、同僚から軽く見られる、取引先の人から馬鹿にされるなどといったことがこれに含まれる。つらい。他人から否定的な評価を下されることがイヤだ。ヒソヒソと自分のことをちょっと遠くから言わないでほしい。悪口を言われているような気がして気が動転してしまう。実際、本人に聞こえるように悪口を言う人がいて、脅威である。そして、陰口をたたかれないようにするため、仕事にいそしむことになる。これは生き延びるための仕事だ。

仕事の時は効率的な言葉を使う。くだらないことは言ってはいけない。生産的なことを言わなければならないし、そういう言葉を発する者が評価される。簡潔に要点を述べられる人が尊敬される。何を言いたいのかがよくわかるからだ。行動に移しやすいし、時間がかからない。適度に冗談を言って場の空気を和ませることも評価される。緊張がほぐれて快適度が増す。生産性が向上する。とても合理的だ。
とても合理的だ。