もうすぐで三十路のぼっちブログ

生きている感想を書いています。明るくなりたい。

天気のはなし・記録すること

会社の昼休みに先輩と近所の定食屋で食事する。特に話すことがなくてそわそわしてしまう。耐えがたい程苦痛というわけではないが、落ち着かない程度には不快だ。おれがそわそわし始めると、前に座った先輩もつられてそわそわしてくる。なにか言わなきゃ、場の空気を取り直すような何かを、と思い、なにかを考えようとするが、何もないのだった。その後発した言葉は天気の話だったりする。天気の話って何も話すことがないときに話す話題じゃん。それとか、今日初めて会った人とあいさつがわりに話すやつでしょ、とか思いながらも気まずい空気に耐えきれなくなって今日も天気の話をするのだった。話が盛り上がっている人たちを見ると、「なんでそんなに話せるのか」と思う。盛り上がるということは感情が上がる、ということだろう。ぐっと話に身が入るような感じ。おれは特に人と話していてそうなることがないな、と思う。以前はあったような気がしたが、それは前つきあっていた女性と知り合った時だった。だから、やっぱり恋愛は生存戦略として有効なんだろう。これは生き延びるための恋愛だ。なんか変な話だけれども。

好きなことはなにかといわれるとすぐに言えない。読書と答えることが最近は多い。本を読むと知らなかった物の見方を知ることができるし、すごく冴えた人たちが考えていることの一端を知ることができるからだ。自分もそんな人たちに少しでも近づきたい、あるいは、今よりもすてきな自分になりたいと思って本に手を伸ばしている。実際にそうなっているのかはわからない。評価してくれる人がいないからだ。評価者は自分である。中長期的に見ないと自分の変化を知ることができないから日記を書き始めた。日々の出来事はすぐにわすれるから記録しておかないと何をして生きてきたのかきれいさっぱり忘れてしまう。だから、ブログも書く。言葉を重ねることで何かが変わるのもかもしれないと思うからだ。何かとは、自分の世界に対する距離感とでも言えばいいのだろうか。感じたことを言語化することで対象との距離感がいくぶんかつかめるのではないかと思う。言語化されない情念は時間とともに消える。それでは自分と世界との関係がよくわからないのではないかという気がする。だから、足場を固めるために感じたこと、考えたことを文書にしておきたい。安心するからだ。だから、これは自分に向けて書かれた文書なのだ。