もうすぐで三十路のぼっちブログ

生きている感想を書いています。明るくなりたい。

なよなよ考える

 メールのやり取りで相手の気をつなぎ止めようとするのは正直どうなんだろうと思う。楽しくてメールするのだったらいい。でも、本当はメールなんてしたくないけれど、相手に嫌われたくないという理由でオロオロしながらやるのは嫌だ。今のところ自分は後者に近いと思う。

 それでも一人にはなりたくないし、かといって自分からまったくメールもしないのでは存在を忘れられてしまいそうだ、などど心配している。やはり嫌だけどメール作戦を実行するしかないのだろうか。もう一つ懸念がある。自分が嫌でやっていることが相手に伝わってしまうと気まずい。そして、それは否応無しに伝わるものではないかと思う。そんな下手な真似をするくらいだったらはじめからやらなきゃよかったなんて後悔しそうだ。
 なんだかんだ言っても、ウネウネ考えてるだけじゃ現実はなにもかわらないし、自分は学ばないから実りがないよね。
 
 人と交流したいのだけれど、うまくできない。十数年にわたって悩み続けている。人といるだけで疲れてしまうので、なるべくひとりでいようとする。けれど、そうすると孤独になりすぎてしまう。バランスが取れない。やがて一人でいることに飽きると、人と知り合うため外に出る。何人かと連絡先を交換する。その人とメールをはじめる。しかし、その人に対して興味を持つことができない。メールするのがだんだんしんどくなってくる。こちらから連絡しないでいると、やがて相手からも連絡がなくなって自然と消滅してしまう。こんなことを延々と繰り返してきた。そのたびに失望を味わう。自分はこのままで生きていけるのかどうかということが頭をよぎり、胸が重くなる。
 人生の目的を「生き延びること」と設定したなら、このままでも成功なのかもしれないな。できないことは望まないようにすれば傷つかない。でも、そんなことはできそうにない。
 人生の目的は「自己ベスト」を達成することであるということにしてみようか。うまくいかなくても、それが自己ベストならよしだ。昨日よりもマシってことだ。そうすれば多少なりとも自己肯定感を持つことができる。自己嫌悪のデフレスパイラルにはまり込まずに済む。これって大切なことである。今の自分に則していうなら、たとえば今は夏から秋への変わり目だ。こんなときは温度差が激しいから必ず体調を崩していた。だけど、今回は割と平気みたい。ちゃんと朝起きれるし、衝動買いはしていないし、夜は早めに寝てる。自暴自棄にならず心ある生活を続けている。これは安定しているからこそできること。昔の自分はこんなにちゃんとできなかった。
 
 前言撤回するようだが、とはいっても先々週に婚活パーティーに行ってから夜うまく眠れずにうなされ気味である。これは季節の変わり目のせいなのか。それとも婚活パーティーに参加したことによるストレスなのだろうか。よくわからない。数日前のことを思い出してみると、なんだか機嫌がよかった気がする。今落ち込んでるのはなんなんだろう。自分の心には不思議な回路が存在している。なんかのきっかけで活性化し、不思議な論理で自己否定を展開していく。それは無意識におこなわれる。よほど注意深くしていないと、気付いたら真っ暗だった、なんてことがざらにある。