もうすぐで三十路のぼっちブログ

生きている感想を書いています。明るくなりたい。

ひとりで暇つぶし

ぼっちの三連休

世間では三連休を心待ちにしている人が大勢いるという。そんななか、ぼっちの人はもしかしたら憂鬱な顔をしているかもしれない。きっとすることがないんだろうな。わかる、それは僕だ。ひとりで時間をつぶすのってどうやってやるんだろう。

ひとりで時間を潰すスキル

中島らもは「教養とは『ひとりで時間を潰すことのできる能力』のことである」と言ったらしい。ぼっちは独りだから時間を持て余す。何もすることがないとネガティブ思考になるタイプの人は持て余した時間=苦しみっていうことにもなりかねない。こういうタイプにとって、ひとりで時間を潰すスキルは必修科目だ。

暇つぶしには頑張らなくても楽にできることを選ぶといいと思う。頑張らないと出来ないようなことはしんどくなるだけだ。休みの日まで苦しんでいたら病気になってしまうよ。

とりあえず、僕がやっている「暇つぶし」を頻度順にリストアップしてみた。

  1.  散歩
  2.  ドライブ
  3.  求愛活動
  4.  寝る 

3を除いて全部ひとりでできることばかりだ。最近気に入ってるのは散歩。身体を動かすとネガティブ思考をある程度消すことが出来る。外が晴れてて、涼しければなおよい。田舎とか自然がきれいなところを歩きたいところだが、街中でも空を見ることで癒されることができる。空の青さとか雲がふわふわなってるのを眺めていると、地上のぐちゃぐちゃした汚いものが一瞬どうでもよくなるという効果がある。あとはよその家の庭にある自然などもなかなかいい。

2番目にドライブを挙げたけど、この方法はコストがかかる。それに街中を走るのは楽しくない。交通量が多いのと、信号ばっかりだからかえって疲れてしまう。それでも、山に遊びにいくには車が便利だ。次に求愛活動だけど、これは具体的には婚活パーティとかそういうやつのこと。「もしかしたら気の合う娘がいるかも」って思って行く。たまにはそういう希望をもつのもいい。現実ばかりみていてもこころが踊ることはない。

寝るのは暇つぶしになるけど、個人的には訓練されていないぼっち(ぼっちであることに葛藤している者)には向いてないと思っている。次の場合を想像してみる。

 

昼間に寝て起きてみたら、日が沈みかけてる。部屋は暗い。開け放した窓からご飯を作ってるに おいがする。今日は一日中部屋にいた。誰とも話してない。

 

たぶん自己否定がはじまって苦しむだろう。

まとめ

暇つぶしにすることの基準は次の通り。

 

 ・自分が楽にできること

 ・ストレス解消になること

 ・希望(妄想)を膨らませてくれること

 

このうちの一つでも満たしていれば「よい暇つぶし」なのかな、と思ってる。逆に自分を消耗させるようなことはちょっと違う気がする。それは訓練とか仕事とかそっちかな。うまく暇つぶしをすることができれば、自分を豊かにすることができると思う。国分巧一郎氏も「暇と退屈の倫理学」で「人生とはいかに暇つぶしをするかである」っていうようなことを言っていた。何をして暇つぶしをするのか考えるときに他人のすることは気にする必要がない。自分は自分の出来ることをするしかないし、それがいいのだ。楽しめないようなことを頑張ってやっても疲れるだけだ。年をとってようやくそう思えるようになれた(逆を言うと、それまで長い間苦しまないといけなかったということで、なんだか呪いみたいだ)。

 

 

 

アパートでお留守番

 

 最近よくちいさい頃のことを思い出します。よく思い出すのは昔住んでいたアパートで母親の帰りをひとりで待っていたこと。長屋みたいに平屋がいくつか横に並んだ集合住宅に、うまれてから4歳頃まで住んでいたことがありました(というか、つまりあれは長屋だった)。その頃、両親が共働きだったことがあり、日中お留守番をよくしていました。はっきりと記憶していませんけど、昼頃から夕方にかけて4〜5時間留守番をしていたような気がします。でも、ひょっとするともっと短かったかもしれません。そのとき自分が何をしていたのかというと、庭で土いじりをしていたり、ありの巣をほじったり、植え込みのツツジのにおいを嗅いだり、前の道路をひたすら眺めてたりしていました。部屋にテレビはありましたが、それはまだよくわからなかったです。この経験についてたしかに言えることは、すごく退屈だったということ。妄想の世界に飛んでたとかは多分なかった。僕は割と遅くまでぬいぐるみあそびが好きだったんですが、大好きなぬいぐるみもひとりきりになると、ただのモノになっていた。妹がいたから一緒に遊ぶときはぬいぐるみはおともだちになるんですが、ひとりだと布と綿でしかなかったようです。とにかく周りには何か興味を持てるような物は何もなくて、退屈していました。そして、自分をこんな退屈な世界においてけぼりにしている人間ーつまり母親ーに結構いらだっていた気がします。

 僕の中でお父さんはあまり存在感がなかった。いや、毎日仕事から帰ってきて顔を見ていたし、普通に好きなんだけど、こっちから寄っていく感じではあまりなかった気がします。母親にはベタベタでした。まあ、2さいとか3さいですからね。そんな大好きなお母さんがよくわからないところに出かけていって、それで自分が独りにされるものだから、毎回大泣きしてました(子供って無力ですね。)

 ということを思い出しました。3歳くらいの頃の話です。

 

 

 

ぼっちの自分語り

僕はぼっちらしい(自己紹介)

 僕は人とうまく付き合うことが出来ない。少なくとも自分ではそう感じて生きてきた。自由時間のほとんどを独りで過ごす。世間ではそういう人のことを「ぼっち」と呼ぶらしい。つまり、僕はまさに「ぼっち」なわけだ。でも、そもそもなんで「ぼっち」なんてやってるんだろう?

人と一緒にいるだけでしんどい

 人と普通に談笑ができない。なんだか自動的に不安な感じになってしまうのだ。でも、頭では「あるべき姿」のイメージがあって、その通りにすることを強制してくる。「ここは、さわやかな笑顔を」とか思うけど、必ず失敗する。しかも、ムリヤリ顔をつくろうとすれば、コワい感じになるし。そんなんだから、ニコニコして楽しそうに人と接してる人を見ては、「どうしたらあんな風にできるんだろう」と思ってきた。とくかく辛い。

だったら独りでいればいいじゃん 

 人といるのがしんどいので、自然と人を避けるようになる。この時点が「ぼっち」の誕生だ。しかし、それで辛さがマシになるかというと、ならない。全然ダメだ。なんでかって、人といるとストレスを感じるくせに、ひとりだと寂しくなってしまうからだ。孤独に耐えられない。じゃあ、どうすればいいんだよ。

 

<つづく>

 

 

村上春樹の小説はおもしろい

最近、ふと読みたくなって村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読み返しました。前回読んだのは10年以上前です。この作品を選んだのは、これが一番すきだったからです。ひさしぶりに読んだのですが、相変わらずおもしろかった。

 実は、長い間、村上春樹を読むことを避けていました。その時周囲にいた人が村上春樹のことを批判していてそれに影響されたのです。その人はゼミの教授だったのですが、彼は村上春樹の小説はいつもセックスと死について書かれている。それは人間であれば誰もが気になることだ。ゆえに主題に興味を持つ母集団が大きい。だから、売れるんだよ、という内容だったと思います。加えて、小説世界が自己陶酔的すぎるという声もありました。村上春樹の小説世界は、自己完結していて、調和を乱す要素がみられない、と。それはインチキだ、と。だから、読者は真剣に不快になったりはしない。読者が揺さぶられるとしても、それはあくまで安全圏内にとどまっている。適度な喜怒哀楽はむしろ快適だ。現実はそんなもんではない。当時の僕は周りがこんなようなことを言うのを聞き、「こんな作り物のぬるま湯につかっていては、人間ダメになる」とマジメに考え、村上春樹的なくつろぎから自分を遠ざけるように仕向けたのです。

 で、ひさしぶりに読んでみたらやっぱりいいじゃん、ってなったわけです。これによって、「これまで自分を変えようとしてきたけど、結局変わらんのよ」っていうことを再認識しました。もういい年だし。だんだん、「このままじゃダメだ」という気持ちよりも、「めんどくさい」とか「別にいいんじゃない」とかが大きくなってきてるのを感じます。体力気力がなくなってきているんでしょうか。別に変わらなくても生きてていいじゃんと思うので、ナルシスト的な「僕」が出てくる村上春樹の小説はすきです。

服屋にいきたくない。

 服屋にいくのがきらいです。でも、どうしても服が必要になったときはいやいやながらも行くわけです。手持ちの服がダサい(と思える)とか、季節が変わって衣替えしなければいけないとか、理由はいろいろです。服屋の何がイヤかというと、それは、店員さんに話しかけられるからです。おしゃれな人に話しかけられると緊張してしまうのです。劣等感を感じてしまうんです。自分でもしょうもないと思いますが、どうしようもないです。

 そういうわけで、なるべくなら行かないで済ませたいなあと考えてはいるものの、それでも結局行くのはなぜなのか。少し考えました。自分の場合でいうと、それは僕が神経質だからです。意味がわからない?

 たとえば、服屋じゃない調達ルートというと、通販があります。Amazonでも売ってるし、zozotownなんてのもあるし、たいていの種類の服はネットで買えるのじゃないでしょうか。でも、僕は通販で服を買ったことは2回くらいしかない。そのときはどうしても服屋に行きたくなくて、しょうがなくzozotownで買いました。ネット通販の弱点は商品の質感が伝わらないことだと思います。生地のきめとか色合いとかが気になるんですけど、それがわからない。多少写真が大きくても実際に目で見るほどには全然伝わってこないです。それで注文して届いてみたら、期待と全然違うんじゃないかと不安になってしまう。きめとかの細部が思い通りにならないとイヤなんです。

 一方で、リアルショップに行けば、そこに服があるわけですから、見て触ってという具合にそれについてふんだんに情報が得られます。したければ試着してサイズが合うかも確認できます(個人的には試着は苦手です)。

 ということで、たぶんこれからもがんばって服屋に行くと思います。ちなみに、僕は全然おしゃれではないです。

 

うさぎの爪を切ってもらう

うさぎの爪切り

うさぎを飼っていますが、うさぎの爪を自分で切ることができません。うさぎはあまり人懐っこくありません。抱っこしようとするとものすごい必死になってにげていく動物です(ちいさい頃から人に慣れさせておけば大丈夫みたいですが)。

一応、爪切りはもっています。2、3回自分で爪切りをしたことがあるのですが、うさぎは死にものぐるいで嫌がるわ、うまく爪が切れなくてもげるんじゃないかと不安になるわ、でとてもつかれました。動物病院にいくと爪切りと一緒にかんたんな健康状態チェックをしてくれることがわかったので、それからは近所の動物病院に、3ヶ月に1回ほどのペースで爪切りをしてもらいにいってます。