もうすぐで三十路のぼっちブログ

生きている感想を書いています。明るくなりたい。

季節の変わり目

今日は暑かった!最高気温32℃らしかった。お昼から健康診断があったから外に出たんだけど、日差しが強いのなんの。そんで今度は28℃くらいになるんだろと予測する。温度差がつらい。

こんな寒暖差が激しい季節の変わり目にはいつも体調がくずれる。だけど、周りの人は全然そんなことはない感じに見える。実際、同年代の人は体調が崩れたりしないらしい。いいなーいいなー(棒)

季節の変わり目に起こる不具合を列挙してみる。

1 神経が過敏になる。
普段に増してコミュ障気味になる。より伏し目がち。

2 身体が硬くなる。
緊張して身体に力が入ってしまう。そのせいで頭痛とか眼痛とかになる。

3 やる気がなくなる。
仕事がめんどくさい。だいたいのことがめんどくさい。


マッサージに行きたい。

ひきこもりのすすめ

 この三連休は誰にも会わずにひとりで過ごした。朝ジョギングしたり、コンビニやスーパーに行ったりするほかは家にいた。自分はひとりで過ごすのは苦手だと思っていた。ひとりでいると延々と暗いことを考えてしまうという体質のせいだ。でも、今になってひとりでも大丈夫っぽくなってきた。上手にひとりで過ごすやり方が長年の努力(?)のかいあって身に付いてきたのかもしれない。よろこばしいことだ(長島らもは「教養とはひとりで時間を潰せる能力のことである」と言った。おれにもようやく教養がついてきたのかもしれない)。で、ひとりで家にいて気づいたことを書いてみる。

1 あまり疲れない。
 部屋にいれば人と会わないし、渋滞しないし、いつでも寝れる。のびのびできるからストレスが少ないんだと思う。涼しくなってきてクーラーなしで過ごせるようになったのもいい。今までは「生産的」なことをしなければならないというプレッシャーを感じてわけもわからず出掛けていたが、そこらへんの不思議な圧力から解放されつつある(と思いたい)。外に出てる日は何回「疲れたなあ・・(ハァーーッ)」って独り言してるかわからないくらいだが、今日は一度もこれをやってない。他人にはきっと理解されないだろうが、これは結構すごいことである。

2 部屋がきれいになる。
 ずっと部屋にいるので散らかっていると気になる。ついつい掃除してしまう。おかげで部屋に放置されたままになっていた8月に買った扇風機の箱が片付いた。さらに、フローロングの水拭きまでやった。どうでもいい買い物のために外出していたら疲れてしまってできなかっただろう。部屋がきれいになると気持ちいい。
 
3 余裕を持って夕飯をつくれる。
 今5時半前だが、そろそろ近所のスーパーに買い出しに行こうと思う。その前に川津幸子氏のレシピ本でメニューを決めたい。かんたんなレシピが多くのっていておすすめだ。

こんなことを思ったが、金をつかわないのもいい。金がなくても快適に過ごせるということは知っておくと金欠になっても焦らなくて済む。そんな時は家で過ごせばいい。ただ一日中こもっていると気分がよどむからほどよく散歩したり走ったりすることで大丈夫になる。あくまでもしんどくない程度にやるのがコツだ。距離とかスピードとか短くていいし、遅くていい。自分にとってちょうど良いことが大切だ。休みの日にお出かけしなくてはいけないというのはただの消費者を煽る文句だから気にせずにひきこもればいいんだよー。

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フリーランスの翻訳業っていいのかな

会社に縛られずにふらふら生きることができたらいいなあ、と思います。フリーランスって自分の裁量で仕事できるらしいからいいんでは?などと思い、少し勉強してみました。自分ができるのは語学しかないので、翻訳業について調べてみました。

賃金の目安

いきなりですが、英→日翻訳で400字、1000円〜2000円程度らしいです。文書の分野によって変動します。医薬・特許分野は人材が不足しているためギャラがいいらしいです。賃金は量をこなさないと上がりません。よって楽して儲けることは、当たり前というか残念ながらというか、ムリです。しかも翻訳は普通にしんどい作業なので全然楽じゃないです。ある書籍にフリーランスとして実際に働いている人たち30人ほどを対象にした収入についてアンケートがのっていました。その中で一番多かった年収の範囲は100万〜200万でした。ただし、この中には育児中の人が含まれており、そういう人たちは旦那さんの収入も別にあると思われます。5割くらいがこの範囲に収まっていました。一方、300万〜800万の範囲も4割程度いました。このくらいになると会社勤めと同等かそれ以上のレベルになりそうです。ただ、想像ですが、能力レベルは高そう。このレベルに行くには命を削って頑張らないと無理だろうな・・・。きっと好きじゃないとできなそう。

翻訳業のイイところ

もっとたくさんあるけど、二つだけ。
・自分の力を活かせる
自分が活かしたいと思ってる力を仕事で使うことができるのがうれしいってことですかね。反対に、能力はあるけど収入を下げてまでそれをやろうとは思わない場合もあると思うし。何かを捨ててまでそれをやりたいかどうかってことだと思う。

・自由に時間を使うことができる
在宅勤務のフリーランスだけにあてはまると思う。時間配分が自由ってことは逆に言うと自己管理が必用ってことだよね。自己管理ができないおれのような人間は大変だ。

まとめ

まとまってないですけど、まとめです。
フリーランスだってお客さんがいるわけだし、下手な仕事をすれば怒られたり、もっと悪ければ仕事を失くす。そうなれば食っていけなくなるわけで。会社員よりも過酷な環境であるのは間違いない。それでもフリーランスを選ぶのにはどのような動機があるのかな。フリーランスの高給取りってのは全体からみればごく一部らしい。圧倒的多数のフリーランスは貧乏だという。じゃあ、収入は少ないし、不安定だし、年金は全額自費になっちゃうし、健康保険だって高額になるしで自由になるお金はとーっても少なくなるんだ。それを承知でフリーランスやってる人ってのは仕事内容がよほど好きなのか、またはそれしかできることがないかのどちらかじゃないかと思うんだがどうなんだろう。メリットとしては、在宅でネット使って仕事する場合、身体はどこにあってもいいから、いろんなところに行けておもしろいかもしれない。でも、実際にはどこにも行かないかもしれない。もし田舎に行けば生活費は安い。収入が少なくなっても生活レベルを維持することがもしかしたらできるかも。お金に関しては、能力に自信があってバリバリやったる!っていうのじゃなく、まったり好きに生きたいなあっていうおれみたいな人間の場合、翻訳業っていうのは量をこなさないと収入が増えないわけなので、低収入になるだろう。それでも生活してこうとすれば、困ったときに助け合える友だち・知り合いのネットワークがあるにこしたことはない。だが、おれはそういうのをもっていないから、フリーランスとしての生活基盤が弱い。結局、誰かに雇われていた方がしあわせなんじゃないかなという気がする。

なよなよ考える

 メールのやり取りで相手の気をつなぎ止めようとするのは正直どうなんだろうと思う。楽しくてメールするのだったらいい。でも、本当はメールなんてしたくないけれど、相手に嫌われたくないという理由でオロオロしながらやるのは嫌だ。今のところ自分は後者に近いと思う。

 それでも一人にはなりたくないし、かといって自分からまったくメールもしないのでは存在を忘れられてしまいそうだ、などど心配している。やはり嫌だけどメール作戦を実行するしかないのだろうか。もう一つ懸念がある。自分が嫌でやっていることが相手に伝わってしまうと気まずい。そして、それは否応無しに伝わるものではないかと思う。そんな下手な真似をするくらいだったらはじめからやらなきゃよかったなんて後悔しそうだ。
 なんだかんだ言っても、ウネウネ考えてるだけじゃ現実はなにもかわらないし、自分は学ばないから実りがないよね。
 
 人と交流したいのだけれど、うまくできない。十数年にわたって悩み続けている。人といるだけで疲れてしまうので、なるべくひとりでいようとする。けれど、そうすると孤独になりすぎてしまう。バランスが取れない。やがて一人でいることに飽きると、人と知り合うため外に出る。何人かと連絡先を交換する。その人とメールをはじめる。しかし、その人に対して興味を持つことができない。メールするのがだんだんしんどくなってくる。こちらから連絡しないでいると、やがて相手からも連絡がなくなって自然と消滅してしまう。こんなことを延々と繰り返してきた。そのたびに失望を味わう。自分はこのままで生きていけるのかどうかということが頭をよぎり、胸が重くなる。
 人生の目的を「生き延びること」と設定したなら、このままでも成功なのかもしれないな。できないことは望まないようにすれば傷つかない。でも、そんなことはできそうにない。
 人生の目的は「自己ベスト」を達成することであるということにしてみようか。うまくいかなくても、それが自己ベストならよしだ。昨日よりもマシってことだ。そうすれば多少なりとも自己肯定感を持つことができる。自己嫌悪のデフレスパイラルにはまり込まずに済む。これって大切なことである。今の自分に則していうなら、たとえば今は夏から秋への変わり目だ。こんなときは温度差が激しいから必ず体調を崩していた。だけど、今回は割と平気みたい。ちゃんと朝起きれるし、衝動買いはしていないし、夜は早めに寝てる。自暴自棄にならず心ある生活を続けている。これは安定しているからこそできること。昔の自分はこんなにちゃんとできなかった。
 
 前言撤回するようだが、とはいっても先々週に婚活パーティーに行ってから夜うまく眠れずにうなされ気味である。これは季節の変わり目のせいなのか。それとも婚活パーティーに参加したことによるストレスなのだろうか。よくわからない。数日前のことを思い出してみると、なんだか機嫌がよかった気がする。今落ち込んでるのはなんなんだろう。自分の心には不思議な回路が存在している。なんかのきっかけで活性化し、不思議な論理で自己否定を展開していく。それは無意識におこなわれる。よほど注意深くしていないと、気付いたら真っ暗だった、なんてことがざらにある。 

 満たされない感じが慢性的につきまとっている状態が続いていて、どうすれば自分は満たされることができるのかと悩んでいる。世間でよく言われるように努力して自己実現すればしあわせになれるのだろうか。仕事を頑張れば、人間的成長も経済力もついてくるなんて言われる。そうすればいい女も寄ってくる、とか。でも、仕事は好きじゃない。つまらないんだ。こんな風に思う自分はおかしいのか?とか考えたりする。じゃあ、無理なく自分のできる範囲でたのしみを見つければ、しあわせになれるのだろうか。自分にはこっちの方が向いているだろう。好きでもないことを努力するなんてできないし。かといって、自分のできることで楽しいことは特にないのだった。出口はどこだろう。以前はこんな風に行き詰まったときはソープに行った。しかし、あるときそんな風にしてもただ虚しくなるだけだと気づいた。ソープにこころの救済を求めるのは無理な話だった。

 不満は無限にわいてくる。容姿が良ければ、頭が良ければ、体調がよければetc... では、これらが良ければどうなるというのだろう?この望みが満たされてもなんだかさらに高望みしそうな気がする。要は、耐え難い現実から意識をそらしたいだけだった。でも、楽しくない現実なんかに注意を向けるくらいなら妄想してた方がマシ?

 

 そこで行き着いたのが禅の思想だった。禅では「無我」を目指せと説く。「あるがまま」とも言われる。

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それはたとえばこういうことだ。自分が苦痛を感じたとき、その感情をただ観察すること。自分の呼吸が浅くなったとき、ただそれを観察すること。そしてそれらの身体反応をコントロールしようとする自分をただ観察すること。禅では身体を観察することで「自我」の正体に気づいていくことを目指す。自分が「私」と思っているこの自我は、コントロール不能の怪物らしい。それは特定の刺激に対して特定の反応を返すようにプログラムされている。論理的な理由は存在しない。ただ、そうなっている。この刺激-反応のつながりを理性はコントロールしようとするが、それは却ってこの自動反応を強めるだけに終わる。では、理不尽なこの苦しみから解放されるにはどうすればいいのだろうか。それはひたすら「気づく」ことによって成し遂げられるのだという。僕はこれを「出来事と感情の因果関係を認識すること」であると理解した。「刺激aに対して身体が自動的に発する感情a」という非論理的な関連を分析により理解するのではなく、身体感覚として感じきるようにする。理性ではなく、身体感覚を研ぎすませることで自分の中で何が起こっているかに気づきたいと思う。そうしてすこしずつ生きやすくなっていけたらいいな。

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日記の効果

 日記を書くことの意味について書いてみます。僕は去年の11月24日(土)から日記を書くようになりました。きっかけは、岡田斗司夫さんの「あなたを天才にするスマートノート」でした。

あなたを天才にするスマートノート

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 タイトルがちょっとうさんくさい気もしますが、僕にはとてもためになりました。日記、あるいは自分について文章で記録を取りたいと思ってる方はよかったら読んでみることをオススメします(Kindle版も出ています。そちらは紙よりも安いです)

 (で、きっかけは同書なんですが、以下の内容はかならずしも岡田氏の書かれていることと関係がないです。)

 僕は書いてあることを真似て日記をつけるようになってから、仕事、プライベートの生活が以前よりスムーズにこなせるようになったと感じます。これは日記をつけるということが次のふたつのことをおこなうことだからだと思われます。

 

1 現状の整理

2 行動履歴の記録

 

 文章にして表現することで頭の中のもやもやとかぐるぐるに輪郭をあたえることができます。僕は買い物しないといけないものをよく忘れていたのですが(トイレットペーパーとか、電球とか)、一度書き出すことで記憶に定着する率が高まりました(それでも忘れますけど・・・)。あと、悩んでるときはとりあえず自分の状態を書いてみることでそれを客観視する助けになるってのもひとつの効用です。

 また、日記は自分の記録にもなります。「何をしたか」について書けば行動の記録になりますし、「何を感じたか」を書けば感情の記録になります。「あのときアレをして、あんなことを感じてたらしい」ということが日記を読み返すことによってわかるのです。苦手なことをこれからやらなきゃならないときに、以前自分が同じことをしたときの記録を見ると、僕は多少気持ちが落ち着きます。「どうせまたアレだろ、前と同じだろ」と思えるからです。感情は一瞬一瞬で変化するのでおぼえておけなくないですか?書いておくことでおおまかな自分の感情パターンがわかります。

 具体的なエピソードをひとつ。僕は合コンが苦手です。初対面の人と合うと緊張しまくってしまうのです。前々からなんとかしたいと思ってました。そこで、合コンに行く前に自分の感情を可能な限りevernoteに入力しておきました。その後しばらくして同様の会があったときにそれを見返すんです。現在の自分の感情と日記にある過去の自分を比べてみて、以前より平気になってる感じがした。それでコンパにもちょっとは慣れたんだなあと感じました。こうすることで自分は変われるということを客観的に確認することができました。自信を持つことができたんです。日記をつけるようになってから、自分の情報を文章に書き留めておくと、色々役に立つということを知りました。

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恋愛によってなんか変わるか

恋愛によって救われることはたぶんない。それに、デートとかすごく努力をしないといけないからだるいし、かといって努力した分だけ見返りがあると限らない。一方で恋愛に期待してもいる。「何か」変わるんじゃないかという可能性を感じるからだ。有名人ニートのphaさんはこんなことを言っている。

 

それは自分ひとりで小さく閉じていた世界を開いてくれるきっかけにもなる。若い頃から何度も誰かを好きになって苦しんだり恋愛に挫折してボロボロになったりしていなかったら、もっと自分の行動範囲は狭く、興味の範囲も狭く、プライドも不要に高く、視野も偏狭で、今よりずっと嫌な人間のままだったろう。恋愛で全てをリセットされたり全てが打ち砕かれたりしてきたおかげで自分は少しだけマシな人間になってきた気がする。

https://cakes.mu/posts/2953

 

今がしんどいなら自分の何かしらを変えることでそれがマシになるかもしれない。でも、 それがわかってても実際にやるとなると色々めんどいし、結局なにもできないことが多い。恋愛はそんな状態から自分を引っ張りだすことができるかもしれない。恋愛中はヘンな脳内物質がたくさん出て、行動力が拡張されるので、日常の限界を突破するきっかけになるだろう。

 

そんな折、すてきな女性に出会った。会ったのは先週行った婚活パーティーでだった。見た目は別に普通という感じだったんだけど、話してみるとまさに自分の好みのタイプだということがわかった。子供からおばあちゃんまで幅広くから好かれるような人のように見えた。裏表がなくて人に警戒心を抱かせない。素直なのだ。かといって、装われた素直さではない。きっと周りの人から愛された育ったんだろうと思う。おれはその人に対して、なんというか、懐いてしまった。

 

でも思ったのだけど、「懐く」ってのは人間関係のヒエラルキーでいうと下位の側がやることなんじゃないか。それは「相手から何かを与えられたことによって好意を持った」っていうことのように思える。この理屈でいくと、おれは彼女よりも下位ということになる。しかし不利なことに、聞くところによると女性は自分よりも下位の男性を恋愛対象として見ない傾向があるようだ。たとえば自分より仕事ができない男性は対象外なんだとか。男性は自分より「上」がいいんだそうだ。もちろんそうじゃない人もなかにはいるんだろうけど。現実って厳しい。なんだか女性に懐いて近づいていっても恋愛対象として見られないような気がしてきた。

 

とはいえ、成功するしないに関わらず、恋愛することによって人生はマシになる可能性があると思う。恋愛は現実を学ぶことの助けになる。自分でも気づかなかった無意識の思い込みや防御に気づかせてくれるかもしれない。そして、もしかしたら自分を縛っているそれをぶっこわすことができるかもしれない。あと、相手に受け入れられて成就してもハッピーだ。振られることにだって意義はある。振られたショックでも何らかの幻想が破壊されるから。幻想は少ない方がラクに生きられるはずだ。

 

またはこういう風にも言える。人付き合いが苦手だとひきこもりがちになって他者との交流が少なくなる。そんな状態では脳内で生きているような状態になるので、自分の偏った傾向が助長され、ますます他者とうまくやることが難しくなる。しかし、恋愛を目指せば現実(他者)と接触を持たざるを得ない。それはしんどい。でも結局のところ、現実と折り合いをつけれてない人生はさらにしんどい。それは自分の向き不向きとか、やりたいことやりたくないこととかがあいまいになっている状態だ。その折り合いをつけるために恋愛は役に立つんじゃないか。